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麒麟がくる明智光秀の刀剣術の流派は?師匠は塚原卜伝が開祖?

大河ドラマ「麒麟がくる」で明智光秀(十兵衛)の刀剣の流派が話題になっています。

ツイッターでは、明智光秀の流派は塚原卜伝の流派と同じだと噂されています。

「麒麟がくる」5話で本能寺の前で明智光秀が細川藤孝と対峙した際、重心を低く構える一太刀でした。

あの構え、時代劇好きの人ならどこかで見たことがあるのではないでしょうか?

それでは、明智光秀の刀剣の流派は本当に塚原卜伝の流派なのかご紹介しましょう。

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麒麟がくる明智光秀の刀剣の流派は?

「麒麟がくる」の明智光秀の刀剣の流派は何なのかが話題です。

まずは視聴者の反応を見てみましょう♪

歴史に詳しい方が多いですね!

今回の「麒麟が来る」の明智光秀の刀の流派は「鹿島の太刀」という源流派のようです。

「鹿島の太刀」と言ってもピンとくる方は少ないのではないでしょうか。

詳しくご紹介していきましょう!

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麒麟がくる明智光秀の刀剣流派の源流は神道流・鹿島の太刀?

「麒麟がくる」の明智光秀の刀の流派は「鹿島の太刀」という噂ですが本当でしょうか?

また本当だとすれば開祖は誰なのでしょう?

神道流・鹿島の太刀とは

鹿島の太刀」とは、鹿島神宮を中心として発展してきた技です。

鹿島神宮に古来から伝わる技のようなもので、この「鹿島の太刀」を取り込んで「鹿島神流」と派生したようですね。

歴史をひも解くとかなり昔からあった技で、一説にはタケミカズチという日本の神が悪神を退治するために使用した技と言われています。

かなりスケールの大きい話ですが、なんだか歴史のロマンを感じますね!

鹿島の太刀で有名な塚原卜伝とは誰

鹿島の太刀で有名な塚原卜伝とは一体どんな人なのでしょうか?

まず塚原卜伝ってどう読むの?からですよね。読みはつかはらぼくでんと読みます。

難しい読みですね。

次に生きた時代はいつなのでしょうか。

塚原卜伝は1489年から1571年まで生きています。

同世代には斎藤道三がいます。

逸話では、無手勝流が有名です。

ある日塚原卜伝が船に乗っていると、一人の剣豪が塚原卜伝を見て決闘を申し込みます。

卜伝はその決闘を受け入れ二人で小舟に乗り換え、近くの岸に寄せました。

決闘を申し込んだ剣豪がまだ岸に着き切る前に降りると、卜伝は船を降りずにそのまま船を岸から離します。

決闘を申し込んだ剣豪は岸に置き去り

剣豪は卜伝に暴言を吐きますが、卜伝は”戦わずして勝つ、これが無手勝流”と言って去っていく。

剣の腕だけではなく、兵法にも通じる人物だったのでしょうね。

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麒麟がくるの時代、塚原卜伝と明智光秀の接点はあったのか?

「麒麟がくる」で十兵衛と対峙した細川藤孝は、史実で塚原卜伝に師事していたようですが、塚原卜伝の流派は厳密には「鹿島の太刀」ではないと言えそうです。

また明智光秀と塚原卜伝とは実際に接点があったのでしょうか?

ご紹介していきます。

塚原卜伝の流派は「鹿島新当流」と呼ばれるようです。

この流派は、もともとある「鹿島中古流」と「天真正伝香取神道流」を学んだ卜伝が編み出しました。

そして両方の流派を学んだ卜伝は、修行のため鹿島神宮へ行き「鹿島の太刀」の極意を学び、新たに「鹿島新当流」と改名したそうです。

「鹿島の太刀」って奥義みたいなものなんですね!

では、塚原卜伝と明智光秀は接点があったのでしょうか。

塚原卜伝と明智光秀との接点はおそらくなかったようです。

史実での記載はなく、明智光秀の剣術に関しての記載もあまりありません。

なので直接的な関わりはないように思われます。

ですが、鹿島新当流は多くの門人を抱え、その中には「麒麟がくる」でも登場した足利義輝や、NHK大河ドラマ「風林火山」の主人公である山本勘助もいたそうです。

なので、明智光秀がどこかで鹿島新当流に関わっていた可能性はありますね。

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まとめ

今回は「麒麟がくる」で明智光秀の刀剣の流派を調べてみました。

流派はおそらく鹿島新当流で、有名な剣豪に塚原卜伝という人物がいます。

明智光秀は本当に鹿島新当流の使い手なのか、塚原卜伝との関係はあるのかを調査した結果をお伝えしました。

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